普仏戦争の最大の成果は、悲願であった「ドイツ統一」の完成でした。講和条約に先立つ1871年1月18日、プロイセン側は屈辱の地であるフランス・ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」において、ヴィルヘルム1世の初代ドイツ皇帝即位式を挙行。ここに「ドイツ帝国(ライヒ)」が誕生し、ヨーロッパの中心に強大な軍事・工業国家が出現したことで、従来の勢力均衡は完全に崩れ去りました。
アルザス・ロレーヌを奪われたフランスの復讐心は消えることなく、この対立構造が後の第一次世界大戦へと直結していくことになります。
一方、この大戦乱は極東の日本にも決定的な影響を及ぼしました。明治維新直後、日本は当初フランス軍を模範として陸軍の建設を進めていました。しかし、普仏戦争におけるプロイセンの電撃的勝利を目の当たりにした明治政府は衝撃を受けます。
陸軍の主導権を握った山県有朋や、ドイツに留学した桂太郎らは、軍制をフランス式からドイツ(プロイセン)式へと大転換。参謀本部の独立設置や厳格な徴兵制の確立など、近代日本陸軍の屋台骨は普仏戦争の勝者であるドイツのシステムを色濃く受け継ぐこととなったのです。