かつてはJリーグの舞台でボールを追いかけていた。横浜FCやカターレ富山、松本山雅FCなどを渡り歩いたプロサッカー選手としてのキャリア。しかし、選手としての限界や葛藤に直面したとき、彼が選んだのは30歳からの競輪界への飛び込みだった。
競輪選手養成所での日々は凄惨を極めた。周囲は十代や二十代前半の若手ばかり。サッカーで培った体幹はあっても、自転車特有の太ももの筋肉やペダリングの技術は一からのスタートだった。だが、持ち前の底知れぬ体力と執念でトップクラスの成績を納めると、デビュー後は瞬く間に勝星を積み重ねていった。