2011年12月、浅田真央の母・匡子さんが肝硬変のため51歳という若さでこの世を去った。真央がGPファイナル出場のために滞在していたカナダから急遽帰国する途中の出来事だった。この悲劇の裏で、敏治氏はすでに夜の仕事を辞め、妻の看病と娘たちのサポートに専念していた。
メディアは「ホストの父」という過去の肩書きを面白おかしく書き立てたが、家族の絆は崩れなかった。匡子さんが亡くなった後、敏治氏は表舞台に出ることを極力避け、黒衣に徹した。彼が求めたのは自己名誉の回復ではなく、残された娘たちが氷の上で再び笑顔を取り戻すこと、ただそれだけだった。世間が作り上げた「いわく付きの父親」というイメージとは裏腹に、そこにあったのは極めて献身的な父親の姿だった。