嶺岡豆腐のルーツを紐解くと、江戸時代中期の享保年間にまで遡ります。当時、江戸幕府第8代将軍に就任した徳川吉宗は、享保の改革の一環として産業振興と軍馬の育成に注力していました。その拠点となったのが、現在の千葉県南房総市・鴨川市にまたがる千葉県嶺岡牧場(安房国嶺岡郷)です。
吉宗は1727年、インド産とされる白牛(白牛種)3頭を輸入し、嶺岡の地で日本初となる本格的な酪農をスタートさせました。搾り取られた牛乳からは「白牛酪(はくぎゅうらく)」と呼ばれる日本最古のバター・チーズ状の乳製品が精製され、滋養強壮の生薬や高級嗜好品として幕府重臣の間で重宝されていたと当時の記録(『白牛酪考』など)に残されています。
そんなある日、嶺岡牧場を視察に訪れた吉宗が、突然料理方に対して「ここにあるもので豆腐を作って参れ」と無茶な注文を出しました。山間部である牧場周辺には大豆のストックがありません。困り果てた料理人は、目の前に豊富にあった新鮮な牛乳に着目し、葛粉を合わせて丹念に練り上げ、白く四角い豆腐に見立てて差し出しました。吉宗はその滑らかな舌触りと豊かなコクを絶賛し、この地名を取って「嶺岡豆腐」と名づけたと伝えられています。
現在でも日本料理の職人の間では、牛乳のことを隠語で「嶺岡」と呼ぶ伝統が残っており、「嶺岡煮」や「嶺岡鍋」といった料理名にその名残を見ることができます。つまり、大豆不使用の理由は「将軍の急な思いつきに応えるための窮余の策」であり、日本の酪農文化黎明期が生んだ最高傑作だったのです。